学校に行きたくない。でも親はなんていうかな・・・
学校に行けなくて悩んでいるあなたへ、親の本音を聞いてください。
学校には行ってほしいです。日本の社会を生きていく上で、学校を卒業したかどうかは大きく人生に影響するからです。
親があなたに願い、祈ること。
ひとつめに、まずあなたに生きていてほしいです。
ふたつめに、あなたに笑っていてほしいです。
そしてみっつめに、あなたに出来るだけ後悔のない人生を送ってほしいです。
複雑ではない、この3つの願いです。
学校に行くことは、この3つ目の願いに大きく関係します。だから、親は学校に行ってほしいと思うのです。
学校は人生の目的なのか?それとも手段なのか?
それは目的?手段?
他の記事でも何度か触れていますが、私は迷った時にこの言葉を自分に問いかけます。
これは何事にもあてはまる真理のようなものだと思っています。
小うるさい母親だと思われているでしょうが、私は自分の子どもたちにこの話を、口が酸っぱくなるくらいします。
「勉強することや学校に行くことは、大人になって生きていくための方法や人との付き合い方を練習するひとつの手段でしかない。
だから、どうしても「学校に行きたくないという理由」があるのなら行かなくてもいい。
そのかわり、他の手段を探すしかない。
正解はないけれど、自分で模索して遠まわりだとしても生きていく道を探して歩いていけばいい。
だけど、それってとても大変なこと。
決められた道を歩いた方が歩きやすいし、自分で違う道を探せないのなら、とりあえずはみんなと同じ道を歩いていったらいい。途中で違う道がみえるてくるかもしれない。」
文章にして見返してみると、ちょっと反省。
こんな話を口が酸っぱくなるくらいしてくるお母さん、やだなぁ💧
私自身の母親は小うるさいことや小難しいことを言うタイプではなく、心配性ですがとても穏やかで優しい人です。
子どもたち、すまん。
親は子どもを選べませんが、子どもは親を選んで生まれてくるそうです。
覚えていないとしても、そうらしいです。
だから私の子どもたちよ、自業自得だと思って受け入れてください。
母も反省はしております。時々ね。
私は子どもたちに「学校に行かなくてもいい」と言いたいわけではありません。
日本の多くの企業が、学歴社会であることは否めません。
もらえる給与の目安が、学歴に比例していくのは明白な現実です。
いい、悪いではなく、ただの現実です。
独立する道もありますが、多くの人が企業に雇用される道を歩みます。
最低でも高校は卒業してほしいし、出来れば進学し就職の選択肢を拡げてほしいです。
これが、親としての正直な気持ちです。
ただ、その多くの人が進むその道ですらも実は手段のひとつに過ぎないということは知っておいてほしいのです。
学校に行けないことで、人生が終わるわけではありません。
その視点を心の中におけるかどうかで、いざというときの心の強さが違うと感じています。
学校に行けなくて悩んでいるあなたへ
私自身も、学校に行きづらくなった経験があります。
我が子が「学校に行きたくない、行けない」という状況になったこともあります。
「学校に行ってほしい、行った方がいい」のも本音。
「学校に行くだけがすべてではない」というのも本音。
家族として1番の本音、願いは我が子に「後悔してほしくない、苦労してほしくない」ということです。
もしあなたが学校に行けなくて悩んでいるのなら、伝えたいことがあります。
学校の先生を否定する気持ちはありませんが、今の学校の先生の置かれている状況はとても複雑です。
本当は言いたいことがあっても、いろいろな事情があって言えないことが多いです。
あなたが「学校に行きたくない」と言った時に「無理してこなくていいよ」と言ってくれる先生がいるかもしれません。
その言葉で、あなたの張り裂けそうな気持ちが救われたとしたら、ひとまず親として先生に感謝します。でも。。。
我が子が学校に行けなくなった時に、学校の先生は優しく「無理なら来なくもていいよ」と言いました。
親である私にも、「お母さん、無理させないで休ませてあげたらいいと思います。」とおっしゃいました。
私はその時、親としてやるせない気持ちになりました。
もちろん、「無理して学校にこい」と言ってほしいわけではありません。
まずは休む、それも一つの対処法です。
だけど、それで終わり?
「無理しなくていいよ」という言葉自体は、解決ではないのです。
その言葉は間違ってはいませんが、それだけで終わらせないでほしいのです。
「無理しないでしばらく学校を休んで様子をみては」それは優しいようでいて、ただの放置です。
半年も様子をみているうちに担任の先生も変わってしまいますし、時間がすぎればすぎるほど問題は深刻化することも多いです。
大前提として、「学校には行くべき」なのです。もちろん、無理は禁物。
「学校」という制度には、たくさんの問題もあります。
でもその制度がなくならないということは、社会にでるために必要な制度だということです。
「学校」は必要だからある、必要だから義務教育になっています。
社会にでた大人たちが「もっと勉強していればよかった」と言っているのを聞いたことがありませんか?
私もそう思います。「もっと真面目に勉強」して、「もっといい大学」に行けばよかったと。
企業に就職して働く以上、学歴や資格はゲームの中でいうレベルに相当します。
どんなにできる人であったとしても、レベルが一定以上なければ入れない会社、就けない仕事もあります。
高校卒業までの学校教育は、社会で生きていくために必要な一定レベルを身につける、いわばチュートリアルの場所です。
このチュートリアルを終えることで、一般的な就職への道が開かれます。
ここをスルーしてしまうと、一般的な就職への道のりはかなり厳しくなってしまうのです。
もちろん、チュートリアルをスルーしても成功する例もあります。
ひと昔前よりはいろいろな働き方、生き方ができる時代になってきています。
しかし多くの場合、チュートリアルをスルーしてしまったペナルティは大きいです。
就職活動において、そもそも採用してもらえないこともあるでしょう。
就職できても、給与で大きく差をつけられてしまうこともあるでしょう。
何度も言いますが、いい・悪いの話ではなく、これがいまの日本社会における多くの現実です。
学校の先生もそのことは十分にご存じのはずです。
この日本の社会で生きていくのを大前提とするならば、「無理してこなくていい」なんて簡単に言うべきではないのです。
学校の先生が悪い、というつもりはありません。
先生が安易に「無理してこなくていいよ」とおっしゃているわけではないことも、わかっているつりです。
今の先生方の置かれた状況からは、そう言うしかない現実もあります。
「ひとりひとりの個性を大事に」「ひとりひとりに寄り添う教育」、ひと昔前と違って親たちも忙しく子どもの教育と責任を学校に押し付けてきます。
かといって全権を任されているわけでもなく、ちょっと厳しいことを言えば、たちまち大問題になってしまいかねません。
私が子どもの頃は、「学校=先生」は絶対的な存在に近かったです。
学校で先生に不条理に怒られて親に泣きついても、基本的には「あなたが悪い」「先生は正しい」。
不満を感じることがあっても、先生と親がそれぞれ違うことをいって悩むようなこともなかったです。
家庭環境も今とは大きく違いました。
核家族は今ほど多くなく、ひとつの家におじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、お母さん、子どもたち(3人兄弟が多かった)の6人以上で住んでいるお宅が多かったと思います。
あくまでも私の周りだけでの感覚ですが、シングルマザーは珍しく、そもそも「お母さんが働いている」状況は自営業の友達の家くらいでした。
家に帰ると必ずお母さん、おじいちゃんおばあちゃんがいて、おやつを食べたり宿題をみてもらったり、一緒にゲームをしたり。
一日の中で、下校の時くらいしか1人きりになる時間はなかったです。
時代は変わり、核家族が増え、親たちは自由に離婚もできるし、共働きも一般的になりました。。
それはそれで時代の流れですし、いいこともたくさんあります。
ただ、子どもたちの環境にとっては、デメリットの部分が多いように思います。
私も子どもたちが小さい頃から、アクセルベタ踏みで共働きをしてきました。
そういう生活をしてきたことに後悔はありませんが、子どもたちに寂しい思いをさせてしまったことには負い目があります。
親たちは忙しく、さらに子どもたちにとって1番身近な大人である「保護者」と「先生」は、昔のように一枚岩ではなくなってしまいました。
子どもたちは寂しさの中、どちらのいうことを信じればいいのかわからなくなるのかもしれません。
だからこそ、子どもたち自身が「誰がちゃんと自分のことを真剣に考えてくれているのか?」を、見極めなければならない局面が増えてきたように思います。
他人はともかく、保護者は子どものことを当たり前に真剣に考える存在のはずですが、残念ながら親も例外になるケースも多い時代です。
見極めのキーワードになるのは、「じゃぁ、どうするか」という言葉だと思います。
「学校に行きたくない」それはわかる。
「じゃあ、どうする?」
「学校」はいくべきところ。
でもそこに行けない理由があるのなら、もちろん休んだっていい。
無理して行くことは、解決方法でもなんでもありません。
でも、ただ何もせずに休むだけではなんの解決にもならない。
「じゃあ、どうする?」ということを相手が一緒に考えてくれているかどうかをよく見てほしいのです。
「じゃあ、今日は休んでみようか」
「じゃあ、その間の勉強はどうしていこうか」
「じゃあ、学校にも相談してみようか」
絶対に、あなたのことをあなた以上に、真剣に考えてくれる人がいるはずです。
親って本当に難しい。
つらつらと書いてしまいましたが、本当に親って難しい。
自分の両親って本当にすごいな、とつくづく思います。
物心ついた頃、私の瞳に映った両親はすでにちゃんとした父親であり母親でした。
いつまでたっても、私はそうはなれそうにありません。
子どもたちのことがとても大切で愛おしいですが、やはり日々の生活の忙しさに紛れて話を半分に聞いてしまっていることがほとんど。
反省。